東京オートサロン 2019
TOYOTA GAZOO Racing 様の企画である
70スープラ&80スープラオーナーがスープラに対する愛を語る企画《#スープラ愛》
語ってみることにo(^o^)o
#スープラ愛
私とスープラの関係がスタートしたのは、仮免許練習中の時。
友達の車やったソアラ顔のスープラ→ソープラを運転させてもらって、六甲山へ行ったことが始まりやった。
そのソープラの部品取り車として、畑の中で解体されてウマにのせられてたスープラを1円で譲ってもらうことに。走行距離11万kmの車。
足回りや内装やガソリンタンクを取り付けないと走れない状態のスープラ。
車としての形に戻して、バッテリーを繋いでエンジンがかかった時はめっちゃ嬉しかった。
すぐに車検を通して、初ドライブへ。
しかし初日から悲劇が。
バイクのゼロヨン出身の私は、新車2台を乗り継いだため中古車に対する知識が全くなくて。
スープラの前オーナーのメンテ事情や車の消耗部品のことなんかを考えもせず、いきなりゼロヨンをしてしまう。
2本走ったところで凄いにおい…クラッチを滑らせてしまい、初ドライブの帰り道は友達に牽引してもらって家へ。
また不動車になったスープラ。
クラッチを自分で交換しようとするもうまくいかず、ミッションが外れた状態の解体車にしてしまう。
しばらく落ち込んだけど幸いそれを組んでくれる車屋さんが見つかって、また動くスープラに戻してもらえた。
スピード競技はバイクで卒業して、車ではドリフトをすると決めてたんで車高調を組んで、トルセンで円描きの練習を始める。
LSDを入れても、見た目も中身もほぼノーマル状態のスープラ。
純正ホイール数セットに廃タイヤを履かせて、金土日と走りに行く日々が続く。
しばらくして、エンブレムを7Mの七宝焼に交換したり、GTウイングを付けたりして、少しずつ見た目もカッコ良く変化。
しかし走行距離15万kmを超えた頃、原因不明のハンチングに悩まされること約1年。
最終的にはECUの故障とわかったものの、その時預けてたショップが新たに準備してくれた中古ECUも壊れた物やって。いつまでも直らない状況に嫌気がさしていた。
そんなこともあり、シャコタンブギへの憧れもあり、ソアラへの乗り換えをちょっと考えたりもしてて。
たまたまソアラを探しに立ち寄ったショップで、偶然にもスープラの部品取り車と出会う。そしてECUを破格の4500円で譲ってもらうことに。
この時に気付いた。
スープラに乗っていられるなら、いつまでも乗っていたい、と。
これを機に「一生スープラに乗る」と決まる。
しかもそれはただ所有するだけじゃなくて「ドリフトをしながら一生スープラに乗る」と。
そうと決まれば高額な部品も迷わず買って、新品に交換するだけでいい。余計なことを考えなくてよくなり楽になった。
数十年後に部品が無くなることを想定して、基本的にはノーマルの新品部品にこだわって交換をしていった。
この頃、部品部屋を作って中古のストックも集め始めた。
部品取り車をもらってバラしたり、ネット売買で仲良くなった人から沢山の部品を譲ってもらった。
塗装の劣化がどんどん酷くなり、天井の色が白くなる程傷んできてたんで、大好きな紫に塗装することに。
その7年後、青空駐車のためまた色がハゲてきたんで、同じ色で2回目の全塗装をした。
スープラ愛が異常過ぎた私は、スープラと過ごす日々、ドリフトが中心の日々しか考えられなくて、結婚は無理やろうと思ってたし、別にしたいとも思ってなかった。
まあもし万が一結婚できるとすれば、私とスープラを同じように愛してくれて、支えてくれるような人じゃないと無理やろうなと。
そしたら、そんな王子様のような人が現れて、私とスープラと彼のシルビアで撮影会をした時にプロポーズをしてもらった。
サーキットウェディングに憧れてた私は、セントラルサーキットや芦有でウェディングドレスを着て前撮り撮影をさせてもらって。
結婚式のプロフィールムービーを作るために埠頭や六甲山で撮影会もした。
華やかに見えてもその頃、実は…。
結婚前から同棲をしていて、家から離れた場所にガレージを借りてたこともあり、スープラ離れが加速し始めてた頃やった。
このままではマズイ。
何とか自分の走る場所を確保したい、リスクはあるけどドリフト走行会を主催しよう、そして友達の走る場所も確保しよう。そんな思いで開催するようになった”さとみんDrift走行会”。
開催して行く内に「モータースポーツを底辺から盛り上げたい」そんな思いが生まれ、初心者と上級者が同じコースで走れる走行会をコンセプトに現在までに13回開催。
そしてもっと沢山の人にサーキットに来てほしい、モータースポーツを気軽に楽しんほしいという思いを詰め込んだイベント《リーメイクディディ》は、ドリフトとドレスアップとレースを併催したイベントでこれまでに2回開催。
走行会やイベントを開催するようになり、これまで出会うことがなかった沢山の人たちと出会って、支えてもらって、活動できる場所を作ってもらって。
感謝の気持ちでいっぱいの日々。
それもこれも全てスープラが一緒に居てくれたからこそ。
所有して16年。
走行距離は27万km。
「ドリフトをしながら一生スープラに乗る」
この夢のような現実の話は、私が50歳になる14年後をひとつ目の区切りとして樹立するために、現在も継続中。