\年150日 おでかけ旅女子👩/

兵庫県加西市/鶉野飛行場(うずらの)へ☆旧日本軍の戦争遺跡で平和について考える


 

 

 

兵庫県加西市鶉野町にある旧日本海軍の飛行場跡

鶉野飛行場(うずらのひこうじょう)

 

 

この場所の存在は前から知ってて1回行ったことあったんやけど、あんまり記憶に残って無くてね(^-^;

 

前々から久々に行ってみようって思ってたんやけど、タイミングが無くてずるずる…

 

そんなある日、急にここに行かないと!って思うようなきっかけがあったんで行くことに

 

 

 

そのきっかけというのは5月11日(月)に

ご近所さんが私に言ったある言葉

 

「あなたのお仕事はコロナの影響は無いの?」と話し掛けられたその日は、

緊急事態宣言が延長になり、人々のストレスはほぼピーク状態、経営者の不安はより強まっていて、経済の先行きが全く見えなかった頃

 

ご近所さんが私に言ったある言葉というのはコロナウイルスについての話

 

長く生きてきたけどこんな酷いことは初めてよ。
コロナウイルスは戦争より酷い
だって戦争はどちらがが負けたら終わるでしょ。
コロナウイルスはいつ終わるかわからないもの。
 
 

私はこの言葉にめっちゃ驚いた

 

戦争を知ってる人が

戦争より酷いことが今、起きてるって言ってる

これはほんまにヤバい…って、ね

 

 

コロナウイルスが世界中で猛威を奮ってることによって

 

健康について

命については

真剣に考えたりはしたけど

 

平和?

そうか、これも当たり前じゃない

 

健康も平和も強く願うだけじゃ叶わないって

 

一瞬にしてその尊さを知った感じやった

 

 

 

私は戦争を知らない

戦争ってどんなんやったんやろって、

ちょっと触れてみたくて

兵庫県加西市鶉野町にある旧日本海軍の飛行場跡、鶉野飛行場(うずらのひこうじょう)に行くことにしてん

 

 

 

 

場所はここ

 

 

 

鶉野飛行場跡 とは

(姫路海軍航空隊鶉野飛行場、川西航空機姫路製作所鶉野工場跡)

 

昭和17年着工、

昭和18年に完成した旧日本海軍の飛行場跡

 

飛行場の建設に伴い、

昭和18年10月に姫路海軍航空隊を開設

 

ここに17歳から25歳までの若者が

全国から約320名集められ、

30時間の飛行訓練を受けた後、各航空隊へと散っていったそう

 

終戦間近の昭和20年には、練習生による

神風特攻隊「白鷺隊」が編成され、

終戦までに63名の尊い命が失われた

 

 

このように鶉野飛行場跡は、

太平洋戦争が悪化しはじめた頃、優秀なパイロットを養成するために作られた場所やった

 

 

 

到着してみると

 

滑走路の路面はガタガタ

当時の様子とは恐らく異なりガタガタ

 

 

かなり傷んでる様子

 

 

これを見て何かちょっとホッとしてんな

 

 

終戦から75年が経過して、荒れ果てた路面を見ると

これは今日まで使われずにすんだからこそ、傷んでしまったんやと

平和やったからこそ傷んだんや、ってね

 

 

でもまだたった75年

何百年も何千年も平和やったわけやないのに、知らないってだけで私は平和を当たり前やと思ってたんやな

 

 

当時の人たちは攻撃されて命を失うだけやなくて、国や誰かを守るためにも命を捧げてきたわけで

 

生きたくても生きれない

そんな辛い時代やったんやって

 

 

平和記念の碑の前に座ってパンを食べて、色んなことを考えながら

のんびりとした時間を過ごした

 

 

平日やったからか人は全くいなくて

たまに通るのは大型トラックばっかり

 

 

鶉野飛行場が現役やった頃は飛行場の西南に川西航空機姫路製作所鶉野工場というのがあって、

そこで「紫電」や「紫電改」など、500機余りの戦闘機が組み立てられたそう

 

その名残なのか(?)、今も飛行場の西側一帯は工場が沢山あって、外から見ても金属加工業やろなぁってわかる工場もいくつかあった

 

 

私がそこに行ったその日は5月にしては暑くて、木陰で涼みながら

気持ちが満たされたところで次の場所へ移動することに

 

 

次の場所は滑走路のすぐ北側にある

 

加西市 防災備蓄倉庫 

(紫電改 実物大レプリカ仮展示施設)

 

 

ここは大戦中に鶉野町の組立工場で製造されていた紫電改の原寸大模型を公開してる場所

 

 

公開日は月2回で

毎月第1、第3日曜日

午前10時00分から午後3時00分まで

 

 

防災備蓄倉庫は前後共に透明なんで、

公開日じゃない時に行っても中の紫電改をそれなりに楽しむこともできる

 

 

私的には前からより後ろから見る方が迫力があった

 

 

そしてこの後ろからっていうのはパイロット目線でもあるねんよね

 

白鷺隊が人生最後の飛行をする時、どんな気持ちで先を見ていたのかと思うと

その気持ちは計り知れない

 

 

 

下の写真は加西市のホームページから借りてきたんやけど、公開日に天気が良ければ外に出して見せてくれるんやって

 

出典 :http://www.city.kasai.hyogo.jp/04sise/11osir/osir1906/osir190606b.htm

 

 

 

私が見学したのはここまでやけど、

この鶉野飛行場には滑走路跡や加西市防災備蓄倉庫見学以外にも見学できる場所があって

 

 

それが

地下防空壕

という場所

出典:http://www.city.kasai.hyogo.jp/02kank/18uzur/03heiw.htm

 

 

当時この防空壕の周囲には地上指揮所や、戦闘機を収納する格納庫があったという状況から、

空襲時に退避できる地下指揮所だったそう

 

 

この地下防空壕への入場は無料やけど

見学するには14日前までに事前予約が必要なんやって

※地下防空壕は民家の敷地内にあり

 

 

【申し込み先】

加西市観光案内所(北条町駅内) 

TEL:0790-42-8823(8時30分から17時30分)

 

 

 

私が行った日は予約どころか急やったから見学はできなかったけど、

コロナが落ち着いて紫電改の公開が再開されたら次は旦那さんと行って、地下防空壕も見学しよ思う

 

 

 

 

コロナウイルスの猛威は世界中で今日も続いていて

これによって人生が変わったり、沢山の人が不幸になってしまったのではないかと思う

 

失ったものは

人それぞれ大なり小なりあって

 

でもだからって

いつまでもへこんではいられないわけで

 

 

そんな中、私が得たものは

 

平和と健康は

当たり前ではない

 

これやった

 

 

 

平和と健康がいかに尊いものか、有難いことか、それを重く受け止めて生きる方が当たり前やって

 

これに気付けてほんま良かったと思う

 

 

戦争の爪痕を身近に感じられる場所

兵庫県加西市鶉野町にある旧日本海軍の飛行場跡、鶉野飛行場(うずらのひこうじょう)

 

ドライブがてら、

ツーリングがてら、

よかったら行って、戦争に触れてみてね